歴史

約450年前に創建した誓安寺の記録

大阪市の知恩院末寺 誓安寺の歴史をご紹介します。

目次

江戸初期の知恩院公式調査に残る誓安寺

大阪市天王寺区にある誓安寺は浄土宗の総本山、知恩院の末寺です。江戸時代初期の元禄・享保年間(1688―1736)に、京都の知恩院と東京の増上寺が、全国の浄土宗6,000余寺をアンケート調査しました。

その「蓮門精舎旧詞」によると、誓安寺は現在から約450年前の天正年間(1573―1591)に、覚蓮社心譽上人正阿盛順大和尚により開山されたと記録があります。

元禄元年(1688)辰歳増補大坂図にある誓安寺(水色)。(大阪市立図書館蔵)
元禄元年(1688)辰歳増補大坂図にある誓安寺(水色)。(大阪市立図書館蔵)

「蓮門精舎旧詞」(れんもんしょうじゃきゅうし)は江戸時代初期に、全国にある浄土宗寺院の由緒を各寺院に直接調査した資料です。それぞれのお寺の名前をはじめ、開山された方の出身や姓、没年時などの履歴も記載されています。このような全国調査は明治時代までなく、日本史上でも大変貴重な資料です。

誓安寺は元禄9年(1696年)7月に「蓮門精舎旧詞」先行調査の段階で、当時の第四世住職梅譽上人が調査に回答しています。

江戸時代に大流行した観音廻り

宝永7年(1710)には第五世住職信譽上人が観音堂を建立し、十一面観世音菩薩さまがまつられました。現在も当時の観音堂に観音さまがおられます。

江戸時代は大阪の寺社仏閣を廻る「大坂三十三観音廻り(めぐり)」が大人気。誓安寺の観音さまも第十五番札所で、近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」にも登場しています。
現在でも観音廻りの巡礼の方や、全国から口伝えでご信心の方がお参りになる観音さまです。

近松門左衛門と名作「曽根崎心中」については、こちらをご覧ください。

建立当時がよみがえった近年の大修復

観音廻りと同じ江戸期には、華やかな本堂も建立されました。現在の住職は第二十世。本堂は近年大修復され、当時のような鮮やかな空間が広がっています。江戸時代の職人たちが編み出した斬新な構図の絵画や欄間は、信心篤い人々によって数百年間大切に護られてきました。お盆やお彼岸法要の際にどうぞご覧ください。

目次